いいなあこれ。http://blog.goo.ne.jp/sygg
ねこ。ねこはいい。
犬より猫。
足首いてー。
そういえば家のPCがなんだか動かなくなってしまい、初期化することに。
去年組んでいたバンドの練習音源とかが全部パーになった。
印象に残っている音源
相模「ミサトさんって知ってる?」
オレ「あれだろ?加持さんとやっちゃうやつだろ」
相模「うん、そうそう」
コースケ「あー!」
↑
なぜか冒頭エヴァンゲリオンの話をしている!そして会話続いているのに突然ギターが
ジャージャーカジャージャージャジャー!!
と始まってなし崩し的にそのまま練習へ。
他の音源
オレ「そこは、もっとコースケのにおいを出してほしいな」
コースケ「においか」
オレ「ああ、においだな、すげーくさいのたのむわ」
コースケ「わかった」
相模「じゃいくよー、あ、ちょっとまった、タバコすってきていい?」
オレ「あ、いいよー」
コースケ「いやーロックだなー、スタジオってくそおもしろいなー、あっちい」
↑
なんだろうか、そこはかとなく世間とずれているこの会話は。
特に「コースケのにおいをだしてほしい」→「わかった」の経緯が会話として成立しているというアホさ加減。
言ってるオレは明らかに勢いのみでいってるし、コースケはそれをさらに上回って即答している。
どうしようもない脱力する会話だなー。
そういった、後で聴くと体中かゆくなるような思い出が一杯詰まったPCだったわけだが。
昔の自主制作CDジャケットとかも全部なくなったし、そこにしかない昔とった写真とかあんなものやそんなものも・・。
まあ、次の段階へ行けって、PCが言ってくれたということだろう。
今度の引越し先には猫が遊びに来てくれればいいなー。
突然だけど、ひとって結構同じようにものを感じたり、考えたりしていても
出しかたというか表現の仕方が違うから
違って見えるということって、かなりあるんだろうなあと思う。
どこまで出すことが自分にとって許せる範囲か、
どういう風に出すことが自分にとって許せる範囲か、
意識的にしろ無意識的にしろ、そうやってそれぞれの中で基準を決めた上で
表に見える形で出しているのだと思う。
いろいろな人に会うし、いろいろな人と話すけど、
本当にオリジナルだなあと感じる出来事やひとに出会うことはまずない。
ブログや日記が世界中で一般化して、今まで上のような思いを、
多分そうじゃないかなと思っていたんだけど、
より確信をもって感ずるようになった。
まあだからなにってわけではないんだけど、
そう思っています。