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あこがれる人、江頭「ワンクールのレギュラーより、一回の伝説」
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大澤真幸の本を読んでいたら、十八世紀の後半に「読書革命」と呼ばれる動きがあった、ということが書かれていた。これがすごくおもしろかった。読書革命とは、音読から黙読へと読書の形態が変化していくことと関係しているという。

今、わたしたちがおこなっている読書は、ひとりでおこなう黙読である。「ただ黙ってページをめくり、活字を目で追う」というしかたで本は読まれる。これがもし、誰もいない部屋でひとり元気に「カラマーゾフの兄弟」を朗読しながら、そのまま最後まで読了した人がいたら、わたしはなんかいやだ。なぜならちょっとこわいからである。

しかし、読書革命いぜんは音読が主流だった。文盲の人がおおかったため、その地域で文字が読める数少ない人のところに集まって、朗読される内容を聴くというかたちで読書はおこなわれた。そこでの読書は、共同体の儀式のような役割を担っていたという。それが黙読へとスタイルを変えることによって、「面倒かつ知的な計算が仕組まれた」テキストになっていったらしい。

読書革命で変化したのは、”Meanwhile”「この間(かん)」という言葉の使われ方だった。たとえば「主人公が家からでかけようとしている、しかしこの間、泥棒は着々と準備を進めていた…」といったストーリーの構成である。Aという場所でなにかが起こる、そうしているあいだにもBという場所ではこんなことが起こる、といったぐあいにだ。現代の読者は、このふたつのできごとは大いに関係があるのだとすぐに理解できる。泥棒は主人公の家に入ろうとするだろう。

「Aという場所でなにかが起こる、そのときBという場所では…」というストーリーの組み立て方が、読書革命いぜんにはなかった。そうした想像力を持つことが、当時の人たちにはむずかしかったらしいのだ。これはとても意外で、おもしろく感じた。読書革命いぜんの人びとは、わたしたちの現実的な日常生活がそうであるように、会話によるフラッシュバック(主人公が家に帰ってくる。すると近所の人が駆けよってきて、「さっき泥棒が入ったのよ、あなたの家に」と教えてくれる)という個人の身体の視点、一人称的な手法でなければ理解ができないのである。広い空間や時間軸を俯瞰的に見る、そうした視点を持つことができなかった。なぜか。

「(かつての)社会的な体験とは、基本的には、個人の身体を中心とするネットワークであった。それは、直接的な対面関係の──相互に現前しあう関係の──集積や連鎖としてのみ存在している」

かんたんにいえば、社会はすべて「知っている人」「すぐそばで見たことのある人」のみでできていた。社会とはそうした「身体を中心とした、ちいさなネットワーク」だった。顔を見たことない人を想像しろといわれても、できないし、見知らぬ人たちがたくさん住むような「社会」という広がりを想像できなかった。今、われわれは国という存在をイメージできる。知らない人が1億人以上住んでいて、行ったことのない土地がたくさんある日本という国がひとつのかたまりとして機能していることを理解できる。

国のように、目には見えないけれども均一な空間として存在するような場所が、物語の中にあらわれたとき、Meanwhileという言葉がリアリティを獲得しはじめる。「そのとき、Bという場所では…」という展開に、ちいさな共同体を越えたどこかで発生するできごとがイメージとして浮かびあがる。身体を越えた場所、空間のイメージがつかめるようになった。つまり読書革命と「国(ネーション)」の成り立ちもまた、ほぼ同時期であるといえるわけだ。なるほどとおもった。

かつてはみんなが集まって、声をだして読んでいたテキストも、「どこの誰だかわからない人たちが、それぞれ勝手に部屋でひとり黙読するもの」となった。この読書革命を通じて、テキストはぐっと複雑さを増したのだ。伏線があり、時間軸があり、複数の場所を移動する視点ができあがる。空間を把握する能力が生まれたからである。ね、これおもしろいでしょう。わたしは興奮してしまいました。過去の人たちには、われわれと共有していない前提が、おもいのほかたくさんあるのだということが論じられていて、なんだかふしぎな気持ちになった。

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